浜田さんと神峰山
山を歩けば、山と麓の暮らしを繋いできた、たくさんの足跡がそこにあることに気がつきます。
登り口に誰かが置いた、木の枝の杖
山頂へつづく、土の道
道に並ぶおじぞうさん
鬼が出るという、分かれ道
綺麗につけかえられた、神社のしめ縄
この町の人たちが「神峰(かんのみね)山」と言うとき、それはただそこに変わらずに立っている物理的な「山」としての意味だけではないような気がします。
人々が山に入って祈り、植物を採集し、民話や伝説を語り継ぐ中で生まれてきた信仰や畏敬の気持ち、そして1人1人の経験から生まれてきた懐かしさや親しみが、「神峰山」という言葉には含まれているように思えるのです。
木江に住む浜田栄子さんの語る「かんのみね」からも、そうした響きが伝わってきます。
平成9年に夫の秀揮さんが石鎚神社神峰山遥拝所の所長を受け継いでから、二十数年。
平成23年に秀揮さんが亡くなられた後は栄子さんが引き継いで、毎月のお勤めやお祭り、正月の初日の出や初詣の準備を仲間と一緒に続けてこられました。
12月は、でんぐりがえりよった
初日の出の時に配るお猿さんあるでしょう。昔は普通のお守りを1人で100〜200個ほど作ってた。それを友達が「栄ちゃん手伝おうか」言うて手伝ってくれて。その友達が大阪に行ってしもうたんじゃけど、「栄ちゃんこんなの出来たんだけど、どうかな」ってお猿さんを作ってひとつ送ってくれて。それで「両方ええから作ってちょうだい」ってお願いして毎年200個ほど作ってもらっとった。それも奉仕よ。うちに無地のはぎれがあるのを探して、周りにも「はし切れがあったらちょうだいね」って集めて送ってた。今コロナがあるからストップしとる。
そして鈴とか紐をつけるのとか後始末は全部私がやるの。鈴をつけるのが一番つらかった。中に入れるのに目が見えんようになるから通らんけえね。ほんでこんどは袋の中にいれるのに文句書かなきゃいけんでしょ。パソコン教室に行ってたから、先生におさるさんにはこの文句、お守りにはこの文句って調べてもらって。それをパソコンに打ってもらって、印刷して切って入れて。晩にはお守りの準備して、昼には初日の出に必要なものの注文に行かなきゃいけないし、神社の用意もしなきゃいけないし、でんぐり返りよった。一人でできんでしょ。車がよう運転できんから。
元旦の朝は、石鎚神社神峰山遥拝所は初詣や初日の出に訪れた人で賑わいます。浜田さんとお友達が1つ1つ作ったお守りも、この日に参拝者へ手渡されます。
初詣も初日の出も、新型コロナウイルス感染症の影響で、2021年、2022年と中止になりました。
だいたい11月の末か12月ごろなったら、栄ちゃんはカッカカッカなるから、昼は家にほとんどおらん。雨の日は家でお猿さんのお守り作ったりね。じゃから12月は本当に忙しかった。12月31日の晩から行ってやるんじゃけど、もう4〜5日は山に行ったり来たり。だからうちの子供達はお正月に帰ってきても私らいなくて何もできんけん、お正月には帰ってこないのよ。
31日の晩に、山に行くじゃない。そしたら向こうに橋の電気がついてるのが見えて。日の出が出た時も嬉しいね。何回見ても飽きない。それから、正月に雨が降ることがないね。
1ぺん、大雪だったときがある。(初日の出の)荷物を上にあげるのに、車で持ってあげられんのよ。すべってすべって、その時私は怪我しとった。4〜5時間ほどかかったよ。本郷に車を置いといて、担いでずっとずっと行ったんだけど、足が痛くて。あれはまだ平成15〜6年じゃなかったかな。ほんで、年が明けたら神社に子供が来るじゃない。雪が積もってるから、お父さんとうさぎ作ってあげよう言ってね。目玉を南天の実でつけて、葉をつけて、うさぎしたら喜びよった。もうその子大きくなっとるじゃろうけど。4つか5つくらいの子じゃったかね。
だからね、本当にいろんな催しがありましたよね。いろんないい経験した。
「栄ちゃんこれしてえやあ」言われてから20年近く、続けよる。
浜田さんが年末にかけて忙しかったのは、神社のことだけではありません。神峰山に並ぶお地蔵さんの前掛けと帽子づくりもまた、浜田さんが引き継いで続けてきたことです。
お地蔵さんのことは親戚の人がしてたから、たまに手伝いに行きよったのよ。姉さんのところへ。そしたら今度は、「栄ちゃんこれしてえやあ」言うて、(お地蔵さんの帽子や前掛けの材料を)持ってきて「栄ちゃんに渡すわあ」て。ほんで持って帰って、20年近く、続けよる。
前掛けと帽子両方いうのが、どうもできん。若い時はええけど。やっぱみんなのおかげだったよね。「よだれかけ縫うてあげるよ」言ってくれる人が何人かおって、縫ってもらいよった。
帽子は手編みで、60か70個編んどかないと間に合わない。一人で編んでたから、家のこととかで腹がたったら大きくなったり、こまくなったり。大きくても小さくてももうええわ言いながら(笑)自分の気持ちが出るよね。晩の1時間くらいでやるからね、その日の気持ちでいろんなのが編み物にでてくるけえ、自分でも面白いと思う。
2021年の秋、浜田さんに教えていただきながら、みんなでお地蔵さんの帽子と前掛けをつくるワークショップを「風待ちの広場」で行いました。
今まで初日の出もやってきて、そっちはそっち、こっちはこっちで段取りをせにゃいかんでしょ。私が車乗れないから人に頼んで連れてってもらってやりよったんよ。だから皆こうしてしてくれたの嬉しい。助かった。このたびもうやめようと思ったんじゃけえ。もう「よう行かん」と思ってた。気になってたけど「ようせん」思うて諦めてた。
みんなでしたら早かったもんねえ。嬉しかった。みんなだいぶ作り方覚えたでしょ。ええ記念になるねえ。今までこんなのなかったから。帽子もいろいろのがあって可愛かったねえ。私ら同じ形のしかしてなかったけん。
2021年12月、お地蔵さんに帽子と前掛けをかけに行きました。お地蔵さんの大きさや顔、石の質感まで、一つ一つが違っていること。お地蔵さんの土台に、番号が振ってあったり文字が書いてあること。いろんなことに気がつきます。
(第2展望台過ぎてすぐの13体並んでるところ)このうちの2体ほどはね、頭が外れよったのよ。大串か原田の人だったと思うけど、神峰山ウォークの時につけてくれた。その人と話が合ってね、何かの時に、これとこれが落ちてるのよって言ったら、くっつけて直してくれた。助かった。かわいそうな思って首を上に乗せてたんだけど落ちちゃうのね。もう何年もたつけれど。
(薬師堂の手前)ここも何体かおらんようなってるね。台だけあったでしょ、あれ上にあったのよ。本体は持って帰ったのか、どっか捨ててしもうたのか、どういうふうになったのかわからない。はじめはぜんぶ乗ってたのよ。
いっぺんつらいことあったよ。お地蔵さんにかけに行ってね。昼前だったかな。山尻から登る時に水湧きよるって言ってたところあるじゃない。あの辺で大雷に遭ってね。お父さんおる時よ。あのお父さんが「こら恐ろしいから山上がれん」言うて、降りて帰ってきたよ。雷がゴンゴンなってた。
お地蔵さんもいろんなのがあるからね。人間と一緒、みな違うもんね。子供と一緒で、これ(帽子と前掛けづくり)したら何か縁があるんじゃない思うてしよる。
一番のたからじゃ思う
私が定年になるころ平成9年かな。前にしてた人が亡くなって「する人がおらんからしてくれえ」て、主人がかんのみねを預かった。時々山へお参りに行きよったからね。最初は「私そこまでようせんよ」って言って、お父さんと何べんも喧嘩しよった。
それから平成12年の11月に家が火事になって。だから家もなにもないのに山に初日の出で上がらなきゃいけないから、しんどかったよ。
ほんとにそのときはどうやって生きたかわからん。本当にみんなによくしてもらった。だからこうして年取ってもみんなとつながりができるじゃない。83も4もなって、みんながこうして来てくれたりするのが嬉しいなと思って。
私は淡路島からお嫁にきたのよ。いまでもちょっと言葉出るでしょう。今まで山のことをしてこなかったら、どこのおばあさんじゃろいう感じだと思う。かんのみねやお大師さん(お地蔵さん)のことしてきたから、一人になっても声かけてくれるのが嬉しい。それがわたしの一番の宝じゃ思う。「浜田さん元気なん、栄ちゃん元気しとるー」って言ってもらえるのが一番嬉しいと思う。じゃけえ子供も、安心しとるんじゃない。一人でもなんとかなっとるんじゃろうて。
語り 浜田栄子さん
聞き手 大崎上島町観光協会
書き手 てるい ひろえ
写真 Kazuhiro Sorioka
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