島にあったお醤油と味噌屋さん、向山醤油醸造場のおはなしの記録
昔、大崎上島には11軒の醤油屋があったと言われている。
今回お聞きしたのは、その中の1軒、「向山醤油醸造場」のおはなしだ。
話し手尾尻さん(取材時 84歳)
向山醤油醸造場は、平成19年(2007年)ごろ閉業
2022年4月
2022年4月末。大崎上島の向山地区に、かつて醤油蔵があったことを知った。
その醤油屋の蔵を整理することになり、いくつかの道具を譲っていただくことになった。
蔵を訪れると、醤油を仕込んでいた大きな樽や大豆を蒸していた釜やせいろ、麹づくりに使われていたもろ蓋など、当時実際に使われていた道具が数多く並んでいた。長い間手入れがされていなかったため、朽ちてしまっているものも少なくなかった。
家屋自体も老朽化が進んでおり、最終的には蔵の中をすべて空にする予定だという話だった。
2022年5月
5月に訪れた時には、処分するもの、人に譲るものと整理がされていた。
奥から大きな音が聞こえ、そちらに向かうと、当時使われていた樽がチェーンソーで切断され解体されている最中であった。
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昔、醤油屋しようる頃はね、上へ輪っか付けて釜を吊りよったんだって。その釜をどうやって吊りよったんか知らんけど。火焚いとったらこの釜の底に炭が付くでしょ。それを綺麗に磨きよった、中も。ほて油塗って。 中は、包丁研ぐ砥石の薄い分で綺麗に磨いて。ちっさい砥石でね、ずうっと磨いてひっからかしてね。そうせにゃその大豆の粘りいうん?あがなもんが付いとったらそこから変なんなるいうて、そういって私もおばあさんから聞かされて。ほじゃけ釜の中入って磨きよった。五右衛門風呂みたいな感じじゃったね。 ほやけ中入って綺麗に擦って、ほいてええがに今度は拭いて。今のあのちさい分でも磨いて綺麗にして、ほいて後から油を付けてね。錆がこんようにしとるはずなんよ、あの釜もね。 油は食用油。台所で使うでしょ。あの頃じゃけサラダ油言わんこうに、ただ普通に食用油だったんじゃろう思うんじゃけどね。そうせんにゃ変な油は塗られんでしょ、食べるものに使うから。
味噌はやりよったけど、おばあさんがやりよったけんね。味噌なら・・・ほんじゃが半分忘れとるねえ。昭和8年からじゃけんね。 私がここへ来たんが昭和35年じゃからね。その時にお父さんが亡くなって3年目だったからね。ちょうど醤油はなくなって。 ほて、それから大きな樽は岡本の醤油屋さんが持って帰っちゃったけんね。今思うたらどうやって蔵から出したんだろうか思うんよ、柱一本どこか外れるとこがあったんかね。そうせにゃあの大きな樽は出んはずじゃがね、5つあったのがないなっとったでしょ。
1日になんぼ炊きよったんなら、蒸しよったんかね。 その頃はほいじゃから、うちの麦ですうちの麦ですって別々に持って来よったからね。麦みなそれぞれ家で作りよったから、その頃は。昭和37、8年頃じゃけんね。 ほて、大豆も持ってきて。ほて、全部1軒1軒の大豆をそれぞれ別個に袋に入れて蒸したりしよった。まあ綺麗な大豆とか、同しようなのを1つの釜で炊くんよね。 それは、米袋言うん?白い木綿の袋へ入れて、釜の上へ棒やって紐で吊って。それこそあんたと私が手繋いだぐらいの大きさかね、上が。そがな大きな釜があったんじゃけえね。 なんぼ作りよったんかね、そこまで覚えてないけど。ほたら、何年ぐらいからかね。麦作らんようなったんよ、みんなが。麦や大豆をね。 それからは、岡本の醤油屋さんに頼んで竹原から買うてきてもらうんよね。麦と大豆がなんぼ、塩がなんぼいうのを計算して。ほいて、持って来てもろうて。
話し手 |
向山醤油醸造場は元々醤油と味噌を作っていたが、尾尻さんのお父さんが亡くなってから醤油作りはやめ、味噌作りに移行していった。
味噌作りも最初は来る人が来る人が自分で育てた麦や大豆を持って来て、向山醤油醸造場で麹と混ぜ味噌にして、各々の家庭に渡していたようだ。
だが、そのうちみんな麦や大豆を作らなくなったらしい。
麦や大豆を作られなくなった後は、麦や大豆を岡本醤油醸造場に注文していたという。岡本醤油醸造場は現在も営業している島で唯一の醤油屋だ。
昔から島の醤油屋を支えていた存在だったのだと、尾尻さんの話を聞いて知る。
2022年6月
大崎上島で100年以上続く天然醸造の醤油屋「岡本醤油醸造場」の岡本さんにもお話を伺いに行く。
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もともとはこの島に11軒あったんですかね。それぞれの集落にあるような形であったんですけど。 ですから桶の数もそんなに多くなくって、それぞれの集落のお醤油をつくるところが多かったですよね。 話し手 |
岡本醤油醸造場で、昔、大崎上島には11軒の醤油屋があったことをお聞きする。岡本さんのお父さんが修行したのは原下地区にあった醤油屋なのではないかとのこと。
昔はそれぞれの集落で、それぞれの醤油を作っていたと言う。向山醤油醸造場もその一つだった。
2022年8月

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次に向山醤油醸造場を訪れた頃には、中はすっかり空になっていた。業者に全て運び出してもらったらしい。
樽や桶、釜など、数ヶ月前にあったものがもうそこには無い。
2022年9月
完成した映像を確認してもらう。
「懐かしいねぇ。あったんよね、みな。もう懐かしいわ。」
数ヶ月前のことだが、もう過去であり、思い出であることを改めて感じた。同時に、すでに忘れ去られようとしている気がした。
「ここに釜が吊るしてあって、こうやって煤をとって」
「ここからここまでにかまどがあったんよ」
「こがな砥石で大豆のぬめりを取りよったんよ」
もう向山醤油醸造場には昔使われていた物や道具がほとんど残っていない。しかし、尾尻さんの記憶が確かにそこに“あった”ことを教えてくれる。
向山醤油醸造場のおはなし会

2022年10月。当時、麦麹を作っていた室の中での映像上映と尾尻さんと話す会を開いた。
会には、向山醤油醸造場の味噌や醤油作りを手伝っていた、ご近所の川本さんも来てくださった。
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大きな桶があって。ほいで袋への大豆と2俵入れて。ほいで重しをして樽ん中置いとく。竹でこうやって。そんで押さえとってうち醤油つくりよったもん。 ほんじゃけん、あがな大きな樽がうちにもあったんで。大きな樽が。 私らが来る前に醤油はやめとったけんの。ほいじゃけん、ちいと残ったのを売りよったよ。一升瓶入れての。 味噌は2時ごろ起きてきてそこから塀を越えて降りてきて。釜があそこにあったけん麦洗うて、2俵ぐらいのせいろがあろう?それへみな入れて。で、蒸した分をもろ蓋へ入れて。ほいで並べて室の中へずーっと重ねての置きよったんじゃけ。 話し手 |
川本さんは90歳を超えるおばあちゃん。普段は割と寡黙な方だが、向山醤油醸造場で手伝いをしていた時の記憶をすらすらと話してくださった。
向山醤油醸造場の静かな幕引き
尾尻さんの話では、平成19年ごろ向山醤油醸造場は営業をやめたという。
向山醤油醸造場で使われていたもろ蓋には「昭和八年 向山醤油醸造場」と書かれており、約74年もの間、向山地区で醤油や味噌作りがされていたことがわかった。
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まあ子供としたらあんまりやりとうなかったんか、船行った方が金んなるいうような。あの頃にはもうみなここらの人全部船乗りさんなりよったから。 ほいで船行ってちいとした時にお父さんが亡くなったらしいんじゃけどね。ほいたら継ぐ気なかったらしいんよね。 話し手 |
向山醤油醸造場の幕引きは、跡を継ぐ人がいなかったことが理由だとお聞きした。
その当時、給料面が良かったことから船乗りになったという人は多く、昔は船に乗っていたという人の話は島内だと珍しくない。
島内にあった醤油屋もその頃にはほとんどなかったのではないかとのことだった。
記憶に宿る味
尾尻さんの作っていた味噌の味は、岡本醤油醸造場の「田舎みそ」に近かったという。
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盆過ぎて味噌を作ります言うたら、まあ大体決まった人が作ってくださいいうて来てくれるんよね。ほいたら、今でも「あんたとこの味噌が美味しかったね」言うてくれる人がおるんよ。 麦の混ざった岡本の醤油屋の味噌があるでしょ。うちの長男の嫁さんがその味噌が美味しい言うてね、帰ったら買うて帰るんよね。 私ら今だったら濾さんにゃならんから面倒臭い思うんじゃけどが、あれ濾さんと食べるよいうて言よったがね。あれが美味しいからどうしてもいる言うてからに。 やっぱり昔のあれを思うんかね、うちが作りよった味噌を思うようなやどね。 話し手 |
尾尻さんの作っていた味噌の味は、岡本醤油醸造場の「田舎みそ」に近かったという。
小さい頃から食べ慣れた味というのは、時が過ぎても身に染み付いているもの。向山醤油醸造場はもう島には存在しないが、向山醤油醸造場を知る人の記憶にはその味がこれからも残り続けるのだろう。
語り 尾尻さん
岡本康史さん
川本さん
聞き手、写真 円光美樹



